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ペドロ3世 (アラゴン王) : ミニ英和和英辞書
ペドロ3世 (アラゴン王)[ぺどろ3せい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 

ペドロ3世 (アラゴン王) : ウィキペディア日本語版
ペドロ3世 (アラゴン王)[ぺどろ3せい]

ペドロ3世(、1239年 - 1285年11月2日)は、アラゴン王バレンシア王バルセロナ伯(在位1276年-1285年)。シチリア王(在位1282年-1285年)。
ペドロ3世とはスペイン語の呼び名であり、アラゴン王としてはペーロ3世(、バレンシア王としてはペーラ3世(、バルセロナ伯としてはペーラ2世、シチリア王としてはピエトロ1世()。大王(、、、)と呼ばれる。ハイメ1世(征服王)と2番目の王妃であるハンガリーアンドラーシュ2世の王女ヨラーンの息子。アラゴン王国最大の君主のひとりである。
== 経歴 ==

=== 青年期と王位継承 ===

ペドロはアラゴン王ハイメ1世(征服王)と2番目の妻ビオランテ・デ・ウングリアの長男である。弟にハイメ(後のマヨルカ王ジャウメ2世)がおり、姉妹にビオランテ(後のカスティーリャ王妃)やイサベル(後のフランス王妃)がいる。
1260年またはそれ以前に、ペドロはニカイア帝国第3代皇帝テオドロス2世ラスカリスの末娘と婚約した。しかし1261年にはエウドシアの兄弟が皇帝位を失ったため婚約は解消され、エウドシアはペドロではなくテンダ伯と結婚している。1262年6月13日、ペドロはシチリア王マンフレーディの娘でありシチリア王国の相続人であるコンスタンサと結婚した。青年期には父ハイメ1世がムーア人に対するレコンキスタの過程で行った数々の戦争で多くの軍事経験を得た。
1276年に父王ハイメ1世が死去すると、アラゴン=カタルーニャ連合王国の土地はアラゴンとカタルーニャに分割された。長男であるペドロにはアラゴンバレンシアカタルーニャの大部分が与えられた。一方で次男のハイメには、バレアレス諸島(やがてマヨルカ王国)、北カタルーニャ(ルシヨン郡、コンフラン郡、、モンペリエ伯領のラングドック地方)が与えられている。1276年11月、ペドロとコンスタンスはアラゴン連合王国の首都であるサラゴサで戴冠した。この式典でペドロは祖父のペドロ2世がローマ教皇に対して負っていたあらゆる封建的義務を放棄した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ペドロ3世 (アラゴン王)」の詳細全文を読む




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